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3月中旬、祖母ミツエが永眠いたしました。

享年96歳。
老衰で眠るように亡くなりました。

祖母に何かあったら
見返そうと思っていたこのカテゴリに
こんな記事を書く日が本当に来るなんて。


葬儀は札幌でした。
祖母とは私が6歳のときから大学卒業後上京する22歳まで一緒に暮らしていました。
そこからは半年に1回ほどしか帰れなくなり、
10年ほど前から認知症の症状が少しずつ出てきて、
ここ数年は施設で生活することが多くなっていました。

息子が生後半年の頃に帰省して会って以来、
4年も会っていなかった祖母の顔はとても痩せていて
正直なところ「こんな顔だったっけ…?」と思ったのですが

ふと胸元で組まれている手と爪の形を見た瞬間に
「あぁ。おばあちゃんの手だ。」と涙がぼろぼろ出てきました。


大きな丸い爪で、
根元に白く山が出ていることが「健康の証」と自慢していた祖母の手。



料理を作ってくれる手。

わたしと妹がおおきくなるまでは
仕事で忙しい母の代わりに
毎日のご飯を作ってくれていました。

リズムに乗って包丁を使う手。
きゅうりを薄くスライスするときはいつも
「こんなの見なくたって切れるわ」と言って
わざと視線を外しながらものすごい速さでトトトトと切るんです。
それをドキドキしながら眺めたりしていました。


縫い物をする手。

祖母は縫い物や刺繍も上手でした。
孫6人中、女児が4人だったのですが
全員のリカちゃん用の布団や振袖まで縫ってくれました。

こどもの頃よく「円、ちょっと針に糸を通してくれないかい」と頼まれました。
老眼で見えにくくなっていたんだと思いますが、
針に糸を通した後、祖母の縫い物を眺めるのが好きでした。

私の浴衣を作ってくれる時も、
親指と人差し指をピストルのような形にして、
私の腕や背中の上を尺取虫のように動かしながら裄や着丈を測って
縫ってくれたのも思い出します。

そして小学校1年生の私にも
針と糸をもたせてくれて、縫い物を教えてくれました。

ただの布がポーチになるのがとてもとても楽しくて
「円は手先が器用だ」とよく褒めてくれました。

私は縫い物に夢中になって、フェルトでマスコットを作りまくったり、
自分でぬいぐるみののどに開いてしまった穴をかがったり、
お気に入りの靴下に開いた穴を繕ったり、
針と糸は、いつでも当たり前にわたしの側にあるものになりました。



字を書く手。

きれいな文字を書く人でした。
手紙やハガキもよく書いていました。
ときどき細い筆で半紙に目一杯文字を書く「写経」というのを
やっていました。最後の2文字目ぐらいで間違うと
「あ〜〜〜!!」と大きな声を出していました。
祖母の部屋から大声が聞こえる時はこのときと、
相撲中継のときでした。




小間物を作る手。

いつも何かを作っている祖母だったので、
きれいな千代紙を貼った小間物入れをつくったり、
みかんの皮を入れるチラシの箱なんかも
暇さえあれば折っていたように思います。
もちろん私も折り方を習って折ってました。



編み物をする手。

冬が近くなると祖母は編み物を始めました。
新しい毛糸で編み始めることはあまりなく、
まず何かを解いていたように思います。

「円、ちょっと手伝って」と言われるので
側に座り、肩幅くらいに広げた私の腕に、
祖母が解きたてのチリチリした毛糸をぐるぐると巻きつけて
大きな輪の束にしていきます。

それが終わると、今度は糸の端からくるくると巻き始めて、
私の腕からスルスルと毛糸が祖母の手元に吸い込まれて
きれいな丸い毛糸玉になっていくのを見るのが本当に楽しかった。

もちろん目を輝かせてみている私に、編み物も教えてくれました。
こどもの私には「目」の作り方が難しく、
何度もなんども教えてくれる祖母の手元をじっと眺めましたが、
毎年編み始めの頃にはすっかり忘れてしまっていて
目だけは作ってもらう方が多かったように思います。

メリヤス編み、ガーター編み、裏編み…目の増やし方減らし方。
祖母の説明と、手元を見ながら覚えました。
目が増えすぎたり、飛んでしまったら
「おばあちゃん直して」と持っていきます。

編み棒をスッと抜かれると「わ!」と思うのですが、
きれいなところまでポポポポポっと解いて、
目を拾うのをじっと見て、直し方を覚えました。
帽子やマフラーなどは私の冬休みの自由研究の定番でした。




わたしが祖母のそばにいるときは
その手元を眺めていた時間が圧倒的に長かったんだと
祖母の葬儀で、胸元で組まれた手を見て初めて気づいて
ボロボロボロボロ泣きました。


絵を描くことはひとりで楽しめることでしたが、
「モノをつくる」楽しさは、
祖母との暮らしの中で見つけたことでした。


祖母と孫という関係だったからこそ、
お互い過度に期待も甘えもせず、程よい距離感で
いろんなことを教えてもらえた気がします。


わたしが成長するにつれて
祖母は老いていきました。
正直、疎ましい時期もありました。

大学卒業後に上京して、
離れて暮らすようになって、
半年に1回ぐらいしか会えなくなって、

あんなにあんなに器用だったはずなのに、
家に飾られていた介護施設で塗ってきた「ぬりえ」は
たくさんはみ出ていて

それでもどんどん小さく可愛らしく、
そしてユーモラスに老いていく祖母のことを
なんとなく書き留めておきたくて、
このブログに「ミツエ」カテゴリを作ったのでした。


いつも夕食どきに毎晩ビールか梅酒を晩酌しながら
「あ〜しあわせ。おばあちゃんね、もういつ死んでもいいの。
朝起きてこないな〜と思ったら死んでたっていうのがいい」

たぶん祖母と食事したことがある人なら、
確実に全員聞いてるはずってくらい毎日のように言ってた通り、


眠るように、亡くなったそうです。

「おばあちゃん、すごいよね」と
久々に会った親族で、泣いたり笑ったりしながら、送り出しました。






ほんとうに

「ありがとう」

以外の言葉がでてきません。





最後に、祖母が古希の記念に作った句集「初鏡」より

『命かくありたし 風のなき落ち葉』

(意訳:風もない秋の日に はらりと枝から落ちた枯れ葉 
            わたしの命が尽きるときも こうでありたいものだ)